Makky's pancase

高校生の思考の筆箱

自分を出すのは怖い。だけど、書き続ける

どうも、最近湿度が高くなってきてげんなり気味のまっきーです。

今回はちょっと自分の書くことに対しての思いのようなものを綴っていきます。

 

「書く」ということは「自分を出す」という事

まず最初なんですが、書くってことは自分の頭ん中全部さらけ出すようなことだと自分は思う。

だから考えてることが全部出てるみたいな感じだし、考えてることを全部出したいとも思う。読者がいない単一の世界、つまり作者だけの世界であれば、自分の素を思うがままに出せます。自分がすっごいでます。

他人に自分を出すのは怖い

これでひと通り満足できても、人間は次の満足を求めてしまいます。そう、他人に見て認めてもらいたいという「承認欲求」の現れです。ですが見てもらいたいとも思ったものは自分の心がだだ漏れの文章。つまりは裸の自分です。これを見せるのはとても怖い。自意識過剰かもしれないけど、見せるまでにものすごく葛藤する。初めて140字小説書いた時もこれを自分のTwitterにあげるのがとても怖かった。

他人の評価を気にし過ぎと思うかもしれません。ですが自分にとっては、自分の素を他人に見せるというのはそれほど勇気がいることなのです。

自分がまだTwitterにブログのリンクも貼らず、ブログをしていることを言いもしないのは、まだこの怖さがあるからです。

それでも書く理由

でも、自分は書きます。怖くてもやっぱり書きます。なぜなら、書くことの楽しさを知ってしまったから。書いて発信することが怖い事であっても同時にとても楽しいとわかってしまったから。

自分が承認欲求強い人だからだろうけど、自分の書いた文を読んでくれる人がいるのってやっぱり嬉しいんですよ。自分の考えを発信できて、それに少しでも目を傾けてくれる人がいると、自分を認めてもらった気になれる。

自分はこれをものを書く人や何かを表現する人に与えられたプレゼントだと思っています。しかもとびきりやみつきになるくらいすごいプレゼント。

自分はそのプレゼントを受け取るために書き続ける。自分で考えた精一杯の自分を出して、いろんなことを書き続けていく。それが今の自分の考え。

 

シャー芯の呟き

いろいろ書きましたがこれからも書いてくのでよろしくお願いします。